観光
港区を訪れたら外せない魅力的な観光スポットです。
徳川将軍家墓所
増上寺は東京上野の東叡山寛永寺(天台宗)と共に徳川将軍家の菩提寺で、埋葬されているのは、2代秀忠公・6代家宣公・7代家継公・9代家重公・12代家慶公・14代家茂公の6人の将軍のほか、崇源院(2代秀忠公夫人)、皇女和宮さま(14代家茂公夫人)ら5人の正室、三代家光公側室桂昌院(五代綱吉公実母)はじめ5人の側室、及び3代家光公第三子甲府宰相綱重公ほか歴代将軍の子女です。 旧徳川将軍家霊廟は御霊屋ともよばれ、増上寺大殿の南北に立ち並んでいました。墓所・本殿・拝殿を中心とした多くの施設の数々からなり、その当時の最高の技術が駆使された壮麗な霊廟は、国宝に指定されていましたが、被災や空襲でほとんどが焼失してしまいました。
道源寺坂
江戸時代のはじめから、坂の上に道源寺がありました。その寺名にちなんで道源寺坂または道源坂と呼んでいました。
洞坂
法螺坂、鯔坂とも書きます。このへんの字(あざ)を洞村(ほこらむら)と言いました。洞村とは、昔ほら貝が出たときも、くぼ地のため洞というなど様様な説があります。
東禅寺
東禅寺は、イギリスの初代公使であるオールコックと次代公使のパークスにより公使宿館として使用されていました。何度か攘夷派浪士の襲撃にあったが、奥書院と玄関は当時のままの姿を残しています。
東京都庭園美術館
昭和8年に建てられた旧朝香宮邸を美術館として公開している。建築と庭園が一つの美術品として扱われ、建物は20世紀のはじめにヨーロッパで全盛をきわめたアール・デコ様式をとり入れている。正面玄関扉と広間、旧大食堂のシャンデリアはアール・デコのガラスの巨匠ルネ・ラリックの手によるもの。昭和58年に一般公開されるまで、専門家のあいだでほ“幻の建築”といわれていた。美術館となるまで白金迎賓館して外国賓客の宿舎に使用されていた。 広い園内には、サクラの大木もあり、訪れる人の目を楽しませてくれます。庭園のみの利用も可能です。公式サイトでは、季節の景色が写真で紹介されています。 四季折々季節の花を楽しむことができます。庭園だけの利用も可能です。公式サイトの季節の花カレンダーを参考にしてください。
東京大学医科学研究所
プラチナ通りから、東京大学医科学研究所の構内に入れます。同研究所は、明治39年に移転してきた旧伝染病研究所で、付属病院をもつ日本で最大規模の生命科学の研究所です。構内にある旧公衆衛生院舎と1号館は、建築家・内田祥三氏が設計したゴシック式の重厚な建物です。構内には遊歩道が整備されていて、西門から正門に至る散歩道が楽しめます。春はサクラ、秋は紅葉が見事ですが、あまり知られておらずちょっとした穴場になっています。
東京海洋大学マリンサイエンスミュージアム
NG3
東京ミッドタウン プラザ
赤坂九丁目警備派出所わきの青いネット状の塔「ブルーム」(シラゼー・ハウシャリー&ピップ・ホーン・作)と外苑東通り道路に面したところにある大きな円い穴のある石の彫刻「妙夢」(安田侃・作)があります。待ち合わせや記念撮影する人の姿も多く見られます。
東京ミッドタウン
東京ミッドタウンは、ショッピングセンター、オフィスビル、ホテル、美術館、ホール、医療機関、駐車場、公園など多様な施設があります。
東京ポートボウル
1フロア34レーンを備える広々としたボウリング場。ファミリーから 300名までの予約に対応できるパーティパック(ボウリング2ゲーム+貸靴+90分のディナーブッフェ+飲み放題)の豪華プランがおすすめ。
東京トリックアート迷宮館
立体的に見える絵画や目の錯覚を利用して楽しく遊ぶ、不思議なトリックアート美術館。 お台場に登場した「東京トリックアート迷宮館」では、世界初の「江戸エリア」や「怖くないお化け屋敷」、そしてトリックアートの名作が揃うギャラリーが楽しめます。カメラを持って遊びに行こう!
島崎藤村旧居跡
大正7年から昭和11年まで住み、最後の長編小説「夜明け前」をここで完成させました。また「飯倉附近」には、大正から昭和にかけての飯倉界住隈の様子がいきいきと描かれています。墓は大磯地福寺にあります。
奴坂
竹ヶ谷(たけがやつ)の小坂で谷小坂、薬王坂のなまりでやっこう坂、奴が付近に多く住んでいた坂の三説があります。
土器坂
このあたりに土器職人が住んでいたので坂名となりました。また、渡辺綱が、ここで買い求めた馬が河原毛で名馬だったからという説もあります。
都立芝公園梅林
都内で最も古い歴史を持つ芝公園では、2月に入ると古墳の麓の梅林約70本の紅白梅が次々と花開きます。梅祭り期間中には、甘酸っぱい香りが漂うなか野点や琴の演奏もあり、散歩途中で気軽に楽しむこともできます。
渡邊ビル
昭和31年建築というオフィスビルで、和久井映見主演「殴る女」や中居正広主演「勝利の女神」(ともにフジテレビ系)などのロケ地になりました。
転坂
江戸時代から道が悪く、通行する人たちがよくころんだために呼びました。一時盛徳寺横の元氷川坂もころび坂といいました。
天神坂
昔坂の南側に菅原道真の祠(ほこら)があったためにこう呼ばれました。葭原が見えるので葭見(よしみ)坂・吉見坂ともいったという説もあります。
鉄砲坂
江戸時代、坂のがけ下に幕府の鉄砲練習場があったことからこの名がつきました。
貞恭庵
14代将軍徳川家茂公御正室、皇女和宮さまゆかりのお茶室です。昭和55年に移築・改修し、一般にも利用されるようになりました。
柘榴坂
坂名の起源は伝わっていません。ざくろの木があったためでしょうか。
鳥居坂
江戸時代のなかばまで、坂の東側に大名鳥居家の屋敷がありました。元禄年間(1688~1703)ごろ開かれた道です。
潮見坂
坂上から芝浦の海辺一帯を見渡し、潮の干満を知ることができたため、この名がつけられました。
中村草田男の句碑(青南小学校内)
「降る雪や明治は遠くなりにけり」――青南小学校正門内の校舎前庭にある、俳人・中村草田男の句碑です。この句は昭和6年、大学生だった草田男が訪問した際に詠んだもので、草田男の代表句です。句碑も昭和52年、青南小創立70周年記念として建立され、除幕は草田男自身の手で行なわれています。草田男は中国、東京、松山と引っ越しを繰り返しましたが、小学校時代の大半は赤坂区青南尋常小学校(のちの青南小学校)に通学しました。その後、20年ぶりに母校を訪れ変わらぬたたずまいに安堵しますが、雪が降り出すとともに校庭に外套を着た子どもが現れるのを見て、着物に下駄だった自分のころとの隔たりを感じたのでした。
中華人民共和国大使館
東京メトロ日比谷線の六本木駅で下車し、テレビ朝日通りを南へ徒歩約10分のところにあります。HPでは、文化交流や留学生交流のニュース、中国の文化や観光情報を見ることができます。